トーホー株式会社 〒590-0969 大阪府堺市堺区新在家町西1丁2番7号 TEL 072-233-3300 FAX 072-238-9900
トーホー株式会社 〒590-0969 大阪府堺市堺区新在家町西1丁2番7号 TEL 072-233-3300 FAX 072-238-9900
トーホーは創業以来、堺の地に根ざした敷物専門商社として歩んできました。
この地で受け継いだのは、堺商人の心意気「SACAY SPIRITS」、
そしてかつて花開いた敷物文化・堺緞通の精神です。
当社のルーツともいえる「堺商人」「堺緞通」の歴史とともに、
昭和・平成・令和にまたがるトーホーのこれまでの歩みをご紹介します。
江戸時代以前
世界を股にかけて活躍した
「堺商人」たち
古くから漁業が盛んに行われていた、堺の海の玄関口・堺港(現在の旧堺港)。
ここに遣明船が発着するようになったことから、室町時代以降、堺は海外貿易の一大拠点として発展しました。
戦国時代に入ると堺に富が蓄積され、「会合衆」と呼ばれる有力な堺商人たちが海外を飛び回り、
街の自治化を推し進めます。その中には豊臣秀吉が大名に取り立てた
小西隆佐・行長父子や、茶の湯の発達に貢献した千利休などもいました。
堺は貿易都市・国際交流都市として繁栄をきわめ、江戸時代初期には朱印船貿易などでも堺商人が活躍します。
しかし、1614年の大坂夏の陣で街が焼き払われ、さらに幕府による鎖国政策や
堺港の機能低下などによって徐々にその経済力を失っていくことになります。
そのような中、糸物商・藤本庄左衛門が、中近東から中国を経て日本に伝来した敷物「緞通」に着目、
1831年に手織りの敷物を売り出します。これが「堺緞通」の始まりでした。
堺市図/モンタヌス『日本誌』挿絵
ザビエルやフロイスなど、イエズス会の宣教師の報告などにより、オランダのラテン語学校長・モンタヌスが著した『日本誌』の挿絵(1669年刊行)。伝聞により伝わった、“東洋のベニス”とも呼ばれた当時の堺の街の様子が精緻に描かれています。
明治・大正時代
世界で愛された敷物
「堺緞通」の一大産地へ
江戸末期に生まれた「堺緞通」はやがて、堺を代表する産業へと成長していきます。
明治に入り、染めや織りの技術が発達すると、堺緞通を生んだ藤本庄左衛門の孫・荘太郎が
効率化と織機の大型化に成功。「第一回内国勧業博覧会」への出品や明治天皇への献上などによって
知名度が高まるとともに販路を拡大し、アメリカやヨーロッパ各国へと盛んに輸出されるようになりました。
堺緞通は、鍋島緞通・赤穂緞通と並び「日本三大緞通」と称されますが、
このうち、海外への輸出を重視したのは堺緞通だけでした。
その特徴は、織機で細かく織り込まれ、豊かな色彩と重厚感があること、そしてさまざまな種類があること。
それは、国内外の多様な需要に応える堺商人の臨機応変さと、それを支える堺の地の技術力があってのものでした。
ピーク時には製造戸数3143、工場数66を数え、堺はさながら“緞通都市”のようだったと言われています。
堺緞通(蟹牡丹文)
堺市博物館に収蔵されている、大正〜昭和期の堺緞通。繁栄を意味する牡丹と魔除けの象徴である蟹を合わせた「蟹牡丹」柄は当時、人気のデザインでした。縁の「雷」(右)や「入子葵繋ぎ」(左)は縁起が良いとされ、堺緞通に多く見られる文様です。
昭和時代
敷物産業の街・堺に生まれた問屋
「トーホー」
昭和に入ると、手織りの堺緞通に代わって機械織りのチューブマットやウィルトンカーペットが
堺の敷物産業を担うようになりました。そして1962年、大阪の船場で繊維売を営んでいた
創業者・濱口勝也が、この地で敷物の卸販売を開始します。
この「トーホー敷物」の設立から当社の歴史が始まりました。
なお、社名の「トーホー」とは“東穂”、つまり東方の恵みという創業者の思いから名付けられました。
創業翌年には「トーホー敷物株式会社」を設立。
当初は従業員2〜3名の小さな会社でしたが、
創業者・濱口勝也は商才を発揮し、徐々に事業を拡大していきます。
1968年には現在の本社所在地に新社屋兼自宅を建て、その後も配送センターや倉庫を新設。
1983年には東京営業所を、次いで名古屋営業所を開設し、全国に販路を広げます。
さらに1985年には中国を初訪問し海外に取引先を開拓。そこには堺商人の開拓精神が息づいていました。
創業者・濱口勝也
和歌山の漁師の家に生まれ、高校卒業後に大阪・船場で繊維販売業に従事。ここで商売のノウハウを学び、妻・律子との結婚後、26歳の若さで友人と会社を設立。社員とは食卓をともにするなど家族同然に大切にしていました(写真前列、右から2番目が本人)。
展示会
春夏・秋冬の商品を紹介する「展示会」は創業時から行っている催事。当時は船場に会場を借り、社員総出で商品を運び込んでいました。現社屋が完成して以降は社内で開催。現在も年に2回、多くのお客様を招いて行っている、トーホーの一大イベントです。
平成時代
堺の地に根ざし、敷物を中心にインテリア事業を展開
国内外に事業領域を拡大したトーホー敷物株式会社は1987年、
インテリア全般を事業領域とするべく、社名を現在の「トーホー株式会社」に変更します。
さらに、時を同じくして卸売直売の小売店「インテリアはまぐち」を開業。ほどなくして時代は昭和から平成へと移りました。
ところが1995年1月に阪神・淡路大震災が発生、同年4月には濱口勝也が急逝。
予期せぬ事態に、急遽、銀行に勤めていた長男・濱口昌彦が二代目社長に就任。
トーホーは新体制のもとで変革の時代へと漕ぎ出すことになります。
平成初期には1990年代初頭のバブル経済崩壊による混乱を乗り越え、
海外仕入先をさらに拡大。国内では当時台頭してきたホームセンターなどへ販路を広げていきました。
その後も本社の増築、配送センターの新設、「インテリアはまぐち」の移転増床などを経て、企業としてさらに成長。
2008年に世界を襲ったリーマンショック後は、事務・物流一体システムの導入などで社内体制を充実させるとともに、
地域への還元のための「倉庫市」や、本社周辺での地域清掃活動を開始。堺の地に根付いた事業活動の基盤を築きました。
インテリアはまぐち
「インテリアはまぐち」がオープンしたのは1987年。卸売業だけでなく小売業へと事業を拡大する転機となりました。2008年には本社に隣接する現在地に移転、さらに2020年には兵庫のスーパー「イズミヤ」昆陽店に2号店を出店しました。
倉庫市
2004年頃から「インテリアはまぐち」本店では、毎年、在庫処分セールとして「倉庫市」を開催。例年、特価のインテリア用品が店内・店頭に多数並び、たくさんのお客様が来店します。地域の皆様への感謝を伝えるためのトーホーの大切なイベントです。
令和時代
「SACAY SPIRIT」を受け継ぎ、
新時代の堺緞通を生み出す
時代は令和になり、トーホーは新たな目標を掲げて動き始めます。
その大きな契機となったのは、2020年、令和の始まりとともに世界を襲った、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックでした。
社会を一変させたこの未曾有の出来事の中、経営理念など社内体制を刷新、
さらにECサイト「HAPPY RUG MARKET」を開設するなど、さまざまな改革を推し進めました。
トーホーはこれからも、創業以来この地で受け継いだ敷物文化を“新時代の堺緞通”として発信し、
堺商人の心意気「SACAY SPIRITS」とともに挑戦を続けていきます。
1962年 3月 | 前社長濱口勝也 堺市堺区緑ヶ丘中町3丁80番地に於いて敷物卸販売を開始する |
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1963年 5月 | 株式会社に改組 |
1965年 7月 | 業務拡張に伴い、移転・堺市堺区柳町西2町15番地に |
1968年10月 | 新社屋完成・堺市堺区新在家西1町31番地に 資本金1,000万円 |
1970年 3月 | 配送センター新設・堺市堺区新在家西3丁72番地に 資本金1,200万円 |
1973年 4月 | 本社拡張増築・資本金2,500万円 |
1975年 4月 | 配送センター拡張・資本金4,000万円 |
1980年 7月 | 倉庫新築・資本金5,000万円に増資 |
1982年 3月 | 本社増築(480㎡) 新型コンピューター導入による集中一体管理体制を敷く |
1983年 3月 | 東京営業所開設 |
1985年10月 | 名古屋営業所開設 |
1987年 9月 | インテリアはまぐち オープン |
1987年12月 | トーホー株式会社に社名変更 |
1995年 3月 | 商品センター増築 |
1995年 5月 | 現社長就任 |
2001年 8月 | 本社増築(200㎡) |
2005年 8月 | 配送センター新設(630㎡) |
2008年12月 | インテリアはまぐち 移転増床 オープン |
2009年11月 | 堺優良申告法人に認定 |
2013年 2月 | 創立50周年記念パーティーをホテルアゴーラリージェンシー堺で開催 |
2018年 3月 | 事務・物流一体システム構築 |
2019年 4月 | CSR私募債発行により地元英彰小学校に図書を贈呈 |
2020年 5月 | インテリアはまぐちイズミヤ昆陽店に出店 |
2020年10月 | WEBによる展示会を開始 |
2023年 7月 | ECサイト「Happy Rug Market」オープン |